イチゴは結局果物だった!?『枕草子』と苺
ご存知の方も多いと思いますが、イチゴは果物ではなく、「果実的野菜」と呼ばれる野菜です。
ところが、江戸時代以前においてはイチゴは果物に分類されます。
なぜかというと、江戸時代以前の一般的なイチゴというと、いわゆるラズベリーと呼ばれる「キイチゴ」のことだったからです。
覆盆子と書いてイチゴと読んでいました。
現在の「イチゴ」は江戸時代後期に海外から伝来したもので、これと同じ種類の「シロバナノヘビイチゴ」などの野イチゴは、一般的には食べられていませんでした。
清少納言の書いた平安時代の有名な随筆『枕草子』にも「イチゴ」が二度登場します。
早速見ていきましょう。
原文
あてなるもの
薄色に白重汗衫。
かりのこ。
削氷のあまづらに入りて新しきかなまりに入りたる。
水晶の数珠。
藤の花。
梅の花に雪のふりたる。
いみじう美しき児の覆盆子くひたる。
現代語訳
上品なもの
女の子の着る、薄紫の内着に白い上着。
雁の卵。
ピカピカの金属の椀に入った、甘いシロップのかかったかき氷。
水晶の数珠。
藤の花。
雪のかかっている梅の花。
可愛らしいこどもがイチゴを食べている様子。
上品なものとして挙げている中に、「こどもがイチゴを食べている様子」とありますが、上品に口を小さく開けて食べる様子が思い浮かびますね。
原文
おぼつかなきもの
十二年の山籠の法師の女親。
知らぬ所に闇なるに行きたるに、顕にもぞあるとて、火もともさでさすがに居たる。
今いで来たるものの心も知らぬに、やんごとなき物もたせて、人の許やりたるに遅くかへる。
物いはぬ児のそりくつがへりて、人にも抱かれず泣きたる。
暗きにいちご食ひたる。
人の顔見しらぬ物見。
現代語訳
心配になること。
比叡山の山籠もりの修行を十二年する法師の母親。
知らないところに月もない暗闇の中行き、従者たちは遠慮をしないにも程があるというけれど、火も灯さずに居ることはやはり心配になる。
新しく出仕した者で思慮も欠け未熟だが、大切なものを持たせて帰りが遅くなった時。
物も話せない子供が反り返って誰にも抱かれたがらず、泣いている様子。
暗い時に食べるイチゴ。
人の顔が見えない牛車の窓。
不安になることとして挙げている中に、「暗い時に食べるイチゴ」とあります。なぜかというと、イチゴは鮮明なその赤色を見ていつも食べていますが、その色がないとイチゴの良さが出ないので不安になるということだと考えられます。
昔は木苺(ラズベリー)のことだったイチゴ。今も昔もイチゴが魅力的な食べ物であることには変わりませんね。
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