泉州中甲高黄玉葱

 

手乗り玉ねぎ

 泉州中甲高黄玉葱は、日本で最初に育成された「泉州黄」群から分岐した固定種。手の上にちょうど乗っかるほどの、少し小ぶりな玉ねぎです。肉厚で透き通った玉は、ほんのりと甘く、上品なとろみが感じられます。

 

皮を剥くと、透き通った綺麗な色の玉が姿を現します


革命の時代に誕生した玉ねぎが日本の味に

 日本にはじめて玉ねぎがやってきたのは、明治10年代のこと。イエロー・グローブ・ダンバースとイエロー・ダンバースの二品種がアメリカから導入されました。イエローダンバースから選抜、改良されたのが泉州中甲高黄玉葱です。


そもそも祖先であるイエロー・ダンバースは、イギリス生まれのコモン・イエローという統一性のない品種から固定されたものです。


コモン・イエローは、17世紀後半に、イングランド国教会の改革を唱えるピューリタン(清教徒)のアメリカ移住によって、ニューイングランドにもたらされました。ピューリタンとは、16世紀後半から現れたローマ教会の儀式制度や、国王の専制政治などに不満を抱いた者たちのことで、ピューリタン革命(イギリス革命)の主勢力にもなりました。ピューリタンの中でもイングランド国教会と分離する考えをもつ者たち(分離派)が、アメリカに移住しました。


ピューリタンのアメリカ移住に伴って渡ったタマネギが、ニューイングランドのダンバースの農民によってイエロー・ダンバースが誕生し、育てられるようになったのです。

 

 このイエロー・ダンバースが日本に渡った頃、明治15(1882)年に神戸の料亭で大阪岸和田の坂口平三郎の目に留まります。坂口平三郎はアメリカからわざわざイエロー・ダンバースの種を取り寄せ、日本の風土に適した方法で収穫、採種をしました。坂口平三郎の種は、大阪府泉南郡田尻の今井佐治平へと渡り、その息子の伊太郎・伊三郎の兄弟によって「泉州黄」群が生み出されます。「泉州黄」群は、収穫する早さが異なる早生・中生・晩生の三系統に分かれており、そのうちの晩生種の一つが「泉州中甲高玉葱」へと変貌を遂げました。

 

現在市場によく出回る玉葱のほとんどがF1品種です。伝統的な固定種ならではの味わい深さを楽しんでほしいです。



*しんしゅう屋の泉州中甲高黄玉葱の旬は7月〜10月



しんしゅう屋の畑で元気に育つ泉州中甲高黄玉葱


採れたての泉州中甲高黄玉葱





 

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