平安時代のウェルカムドリンクとは 『蜻蛉日記』
藤原道綱母の二十年間の日記『蜻蛉日記』には、野菜の描写がありますが、それが今でいうウェルカムドリンクにあたるものだと考えられます。
一体何の野菜のことでしょう。
藤原道綱母が旅に出る予定を立てるところから話は始まります。
早速見ていきましょう。
原文
かくて、年頃願あるをいかで泊瀬にと思ひ立つを、立たむ月にと思ふを、さすがに心にしまかせねばからうじて九月に思ひ立つ。
立たむ月にかは、大嘗会の御禊、これより女御代出立たるべし。
これ過ぐして諸共にやはとあれど、我が方の事にしあらねば、忍びて思ひ立ちて日悪しければ門出ばかり法正寺のべにして、暁より出で立ちてうまの時ばかりに宇治の院に至りつゝ見やれば、木の間より水のおもてつやゝかにていと哀なる心ちす。
忍びやかにと思ひて人あまたもなうて出で立たるも、我が心の怠りにはあれど、我ならぬ人なりせばいかにのゝしりてと覚ゆ。
車さしまはして幕など引きて、しりなる人ばかりを下して、河辺に向へて、すだれ巻きあげて見れば、綱代下にし渡したり。
行きかふ舟とてあまた見ざりし事なれば、すべてあはれにをかし。
後の方を見れば来こうじたるげすどもあやしげなる柚や梨やなどをなつかしげにもたりて食ひなどするも哀に見ゆ。
破籠などものして舟に車搔きすゑて急ぎもていけば、贄野の池、泉河などいひつゝ、鳥ども居たりなどしたるも、心にしみて哀にをかしう覚ゆ。
櫂忍びやかなれば萬につけて涙もろく覚ゆ。
その泉河もわたりて橋寺といふ所に留りぬ。
酉の時ばかりにおりて休みたれば、旅籠所と思しき方より切大根物汁して、あへしらひてまづ出したり。
旅立ちたる業どもをしたりしこそ忘れ難うをかしかりしか。
現代語訳
さて、ここ数年願を立てているので、どうにかして泊瀬にお参りに行きたいとたいと意気込み、旅をする月に参りたいと思っていました。そうはいってもやはり心にゆだねて、ようやく九月にと決めました。
出発する月には大嘗会の御禊があり、私からは女御代を出すべきかしら。(いや、そうではなく自分で行くべきでしょうが)
近々一緒にいこうかとはしていたけれど、私の事情の方が大事なので、密かにお参りすることに決めました。
出発予定の日は凶日なので、門出だけは法正寺のあたりにして、夜明け前に出発しました。
お昼ごろに宇治の院に到着し、遠くの方を眺めれば、木の間から見える水の表面がつややかで美しく、とても心を打たれました。
密かにと思って人をたくさん付けずに出発したのは、私の心に怠りがあったからですが、これが仮に私でなかったら、どんなに賑やかな旅だっただろうと思いました。
牛車は向きを変え、幕を上げて後ろに乗っていた人だけを降ろして河辺の方に向きを変えました。
簾を巻き上げてみると、網代(魚を獲るための罠)が下の方に渡してありました。
行き交う舟があまた見えたことも、なにもかもが素晴らしく、興味深いことでした。
後ろの方を見ると、歩き疲れた下人たちが見慣れない梨や柚のようなものを大事そうに持って食べたりしていました。
そんな様子を見ても、しみじみとした思いになりました。
お弁当を食べて、舟に牛車が担ぎ据えられると、急いで進んで行きました。「あれが贄野の池で、あれが泉河」などと言いながら、鳥の群れが羽を休めている様子が心にしみて、なんて優美で風情があるのだろうと思いました。
櫂の漕ぐ音ですらあまりにも静かなので、何かにつけて涙もろくなってしまうのでした。
その泉河も渡り切り、橋寺というところに泊まりました。夕方頃に着き、牛車から降りて休んでいると、旅館と思われるところから、先に切大根の汁物を持ってきてもてなしてくれました。
旅をしたり、このようなところに泊まったりしてこそ、忘れがたい趣があるのです。
いかがでしたか。旅の良さが伝わり、どこか遠くへ行きたい気持ちになります。
貴族ならではのことだったのかもしれませんが、平安時代にもウェルカムドリンクのようなものがあるようです。それが切大根の入った汁物だという点も面白いですね。
旧暦の九月というと、新暦の九月下旬~十一月下旬にあたり、丁度大根の収穫が始まる頃です。少し肌寒い秋の旅の疲れが、旬の大根の入った温かい汁物で癒されたことでしょう。
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